それ行け!小隊長! (残弾処理) | ■ はなとだんなのぼやき帳 ■

それ行け!小隊長! (残弾処理)

EPISODE2(残弾処理)

年度末(3月末)も間近に迫った土曜日だった思う。副長(副中隊長)と一緒に何人かの隊員を連れて実弾射撃に行って来いとの命令が下った。陸上自衛隊の駐屯地には目立たぬ所に弾薬庫があり、弾薬庫には各種実弾(小銃弾・拳銃弾・重機関銃弾・迫撃砲弾・手榴弾・無反動砲弾等)が格納されている。ちなみ俺がいたのは普通科(歩兵)連隊だったので戦車部隊で使用する戦車砲弾や特科(砲兵)部隊で使用する砲弾は当然のことながら格納していなかった。弾薬も毎年古いほうから使用していくように管理されているが、年度末になるとその年の予定使用量を満たしていないと、実弾射撃がやたら増えるという具合だ。俺たちはこれを「残弾処理」と称していたわけだが、つまりその年の内に使用してしまわなければならない弾を射撃で撃ちまくってくるのだ。
 当時使用していた小銃(ライフル)は64式小銃という代物だった。64は正式装備された年を表している。ここで勘違いしてもらっては困るのだが、昭和64年装備では決してない!驚くなかれ1964年なのである。(最近になってようやく小銃も新しいものが開発されて64式小銃に変わって正式装備となったらしいが、聞くところによるとこの新型小銃がかなり高価で陸上自衛隊全てにいきわたるのはまだ何年もかかるらしい。)とにかく俺のいたころは小銃はこれしかなかった。64ならまだいいほうだ。たしか機関銃は62式機関銃だった。この64式小銃、先端に銃剣を装着でき、もちろん自動装填で単発でも撃てるし、引き金の近くにあるつまみを切り替えると機関銃のように連発でも撃てるというものだ。(切り替えつまみは、安全装置・単発・連発の3つの切り替えができた。それぞれの切り替え部分に頭の文字をとってカタカナで(ア)(タ)(レ)と誰が考えたか気の利いたことが刻印してあった)さてこの小銃、ここまでは聞こえがいいが、とにかく重い!銃剣や弾倉を装着せずに4キロ以上あった。口径は7.62mm(正式装備当時の標準NATO弾、現在は5.56mmが標準となりつつある)と大きく破壊力はあるが20発装填の弾倉一つがこれまた重い。訓練でも一人が弾倉4つくらいまでしかもてなかったと思う。また、水に非常に弱いのがこの銃の特徴だった。戦時中には東南アジア方面など湿気の多い地域での戦闘をいやというほど経験してきた国の銃とは思えないほど水気に弱かった。たとえば雨の日の訓練で一日中外で訓練した翌日の朝には銃は赤錆だらけになっていて、作動部には塗油しないととても実射できる状態ではなくなった。
 小銃の話はこれくらいにして、とにかく副長と俺は隊員15・6名を引っ連れて部隊から数キロ離れた射撃場に向かったわけだ。たしか春のきざしも訪れはじめてぽかぽかと陽気な日だったのを覚えている。俺も着任してから既に何回か来ていた射撃場だったし、副長にいたっては通算100回や200回ではなかったであろう。到着早々、手馴れた指揮で射撃の準備をして的も設置させ、30分もしないうちに射撃の準備が整ったと思う。
 その日はたしか50M射撃だっと思う。自衛隊の小銃の実弾射撃には50Mの射撃の他、100Mや200M、400Mがあったし、縮小した10M射撃なんてのもあったと記憶している。(なにせ10年以上前の記憶をたよりに書いているので、もし誤りがあったら許していただきたい)4・5人ずつで撃っていくのだが、まず1列目が射撃している間は2列目の者は射手のすぐ後ろについていて、射撃姿勢の矯正や弾着からの照準補正を助言したりしていたと思う。残りのものは1列目の射撃終了後2列目の準備が整うまでに1列目が使用した標的を取り替えるといった手順で概ねこのローテーションで射撃していたと思う。
 ここで少し補足しておくと、自衛隊では撃った弾の薬莢は原則としてすべて回収するのが当たり前である。射撃場では寝撃ちやしゃがみ撃ちなんていう姿勢の違いはあるが、基本的には射座で静止しているし、また実弾や空砲を使用する際には小銃の薬莢が飛び出す位置に布製のアタッチメントを取り付け、飛び出す薬莢をうまくキャッチしてくれるというわけだ。しかし、実戦を想定した突撃訓練とかでは空砲をばんばん撃ちながら匍匐前進したりして移動するので当然薬莢もなくす確立が高い。訓練後に全員でだだっぴろい訓練場をはいずりまわって日暮れまで薬莢を探した記憶が数知れずある。
 さて、また横道にそれてしまったが、いよいよ実弾射撃訓練の開始とあいなったわけだが、3列目が近づくにつれどうも副長がそわそわしだした。古参の曹長に目配せしてなにやら手配しているようであるが、おれにはなにがなんだか見当もつかない。そうこうしているうちに3列目の番となったが、前述のとおり射手のうしろには通常次の列のものが一人ずつつくはずなのだが、3列目のある隊員の後ろには曹長ほか数名の隊員が囲むようにして見守っている。その隊員は俺が着任する以前から中隊に所属していたが、俺はまだゆっくりとそいつとまともに話もしたことがなかった。俺はどういうことか副長に聞いてみた。すると帰ってきた答えは「物騒だから・・・」つまりそいつに銃を撃たすこと自体が物騒だということらしい。後で聞くとそいつは多少情緒不安定で感情の抑制がきかないらしい。いきなり訳もなく怒ったり、かとおもえば鬱状態がつづいたりといった具合らしい。で、射撃中に銃口を人に向けかねないというのだ。いやはやなんともなさけない話だが、こういう隊員がすくなからず存在したのは俺自身も身をもって体験しているところだ。
 考えてみるに、俺はこの原因は少なからず自衛隊地方連絡部にあると思う。地方連絡部とは各県の県庁所在地などに、主に隊員の募集を目的として自衛隊が設置している事務所のことである。やはりどこの世界もよく似たもので、他聞にもれずこの地方連絡部にも募集人員のノルマがあると聞いたことがある。自衛隊が人気職種(まだまだ地元に就職口が少なくて他県や都会にでて就職せざるをえない地方では地元にある自衛隊は人気職種なのである)である県の地方連絡部なら何も募集活動をせずとも隊員が集まってくるのだが、都会になるにつれ好き好んで自衛隊に入ろうとする若者などいるはずもなく、当然こういった場所の地方連絡部勤務の隊員は高校などあらゆる所にポスターを配布したり、芸能事務所のスカウトばりに街にでてまさに自衛官スカウトしてくるわけだ。
 これに関して一つ笑い話がある。俺が関東方面で勤務していたころだが。同じ隊の自衛官が日曜日に外出した際にJRのとある駅でこの自衛官スカウトに声をかけられたことがあった。ちなみにこの男、頭はスポーツ刈りで体格もがっしりしたいかにも体育会系の奴であった。地方連絡部の隊員さんは頭数さえそろえばいいわけで、個々の隊員の能力など問題外なのだ。それが前述の射撃場でのように実弾をうかつに持たせられない隊員を生むことになってしまうのだ。なお、余談ではあるがスカウトに声をかけられた俺の友人は、AV男優のスカウトにも声をかけられた事もあった。「にーちゃん!ええ体しとるな。体力ありあまっとるんやろ?」といって声をかけられたそうだ。どうも自衛官募集とAV男優のスカウトは採用時のスカウトマンの視点が似ているようだ。
 まあ、この日は何事もなく無事に残弾処理を終了し、俺たちは部隊へと戻ったのであるが。実弾を扱う訓練における小事故は俺の知っているだけでも数限りない。