それ行け!小隊長! (だんなの自衛隊奮戦記) | ■ はなとだんなのぼやき帳 ■

それ行け!小隊長! (だんなの自衛隊奮戦記)

これは俺(だんな)が自衛隊で体験した事実を忠実に書き記したものである。
10年以上の時間が経過しているとはいえ、まだ当時の関係者で現役の自衛官もいるので、名前・場所・時間等詳細に記せない事をお許し願いたい。中には自衛隊に対しかなり痛烈に批判めいたことも書いてはあるが、どうか勘違いしないで欲しい!俺は当時から現在に至るまで自衛隊を愛しているし、今日この時にも祖国を守るために訓練に励んでいる隊員を誇りに思っていることを!

EPISODE1(着任初日)

 10月の初旬、久留米にある陸上自衛隊幹部候補生学校における6ヶ月の課程を終えた俺は、最初の赴任地である東北のとある部隊へ到着した。到着後まず連隊長室に案内された。がちがちに緊張しながらも着隊の挨拶を終えるとすぐさま中隊に連れて行かれて俺の自衛隊生活がスタートした。
 なにはともあれ、隊員の前で中隊長に紹介された後に自分からも挨拶を終えたかと思うと、中隊長から「○○2曹と一緒に○○駅へ行け」という命令が下った。理由を聞くとどうも今朝の点呼時に1名足りなかったらしく・・・要するに深夜の間に塀を乗り越えて脱走したらしいのだ。それで数名ずつのペアを組んで、実家はもちろんのこと最寄の駅や親戚の家や友人の家などに張り込みをしいたのだ。なんとも赴任初日の仕事がこれとは・・・今思うとまさにそれからの自衛隊生活を暗示していた出来事だった。
 着隊した中隊の中隊長はまさに一平卒からのたたき上げで陸上自衛隊のことで知らないことはないと言っても過言ではないくらいの人だった。後で聞いたのだが早朝に脱走が判明してからの中隊長の手際はすばやくしかも適所に手を打ったらしい。(というよりも脱走が日常化していて中隊長もなれていたのが本当だったのかもしれないが・・。)(ちなみにこの中隊長は既に定年となって職を去られているが、当時俺はその人から教わる事が多く、俺にとって神のような存在であった。今思い起こしても実に質実剛健な人で自衛官の鏡であったと思うと同時に人間的にも尊敬できる人であった。今では正月に年賀状を交換しているくらいなものだが、お元気なうちにもう一度お会いできる機会があればと思う)
 話を戻すと、命令をうけて、ちょうど正午頃だったろうか、私服に着替えた俺と○○2曹はようやくJR○○駅に到着した。とりあえず改札口が見えるベンチを陣取り○○2曹と見張ることになったわけだが、今日着任した俺には当の脱走した奴の顔がわかるはずもなく、ただ○○2曹に頼るしかなかったのだ。夕方学校帰りの女子高生達がベンチにボーっと座っている俺たちを不審そうな顔で見ながら通り過ぎていく。さらに会社帰りのおっさん達(今思えば現在の俺くらいだったんだろうなー)が改札を通過していく。それを見ていて俺は朝晩同じ改札をこうやって毎日通過していくそのオヤジたちの人生ってなんなんだろうとふと考えたものだ。そういう人生の単調さがいやで自衛隊に入った俺だったのに、なんの因果か今ではその毎日同じ場所をいったりきたりしているオヤジの一人になってしまっている。
 当時は携帯なんてものはなかったので、ときたま公衆電話から中隊に電話を入れて、みつかったかどうかを確かめていたが、脱走者がみつからないまま夜になって、何度目かの連絡の際にようやくその日の捜索を打ち切るので部隊に帰ってこいという命令をうけた。こうしてなにがなんだかわからないままに俺の着任初日は過ぎた。ま、こうした特殊な日だったからこそ今でもこうして鮮明に覚えているのかもしれないが・・・・。
 脱走者のその後のことを言うと、結局は女友達のところへ逃げ込んでいた。親からの連絡を受け中隊長が本人と会い、とりあえず本人に戻る意思のないことを確認した後、身分証明書等を返納させ、まだ若い隊員のために将来の不利益とならぬよう依願退職の形で退職させた。
 現在もそうだと思うが、入隊した隊員は原則部隊内で寝食しなければならない。個室なんてものじゃなく、2段ベッドが5~6個おいてある大部屋に押し込められる。すると必然的に先輩隊員が雑用(※)やらなにやらで入隊してきたばかりの隊員をこき使うことになるわけだが、先輩隊員といってもものの道理がわかっている年齢ではなく、まだ20歳になるかならぬかの年齢だ。逆らったり目をつけられたりすると新隊員にとっては毎日が地獄絵図の日々となるだろう。訓練が終わってくたくたになって部屋に戻り、今度は部屋でいびられこき使われ、・・まだ高校生くらいの年齢の隊員なら逃げて当然だったのかもしれない。どの部屋にも古参の軍曹(1曹か2曹)がいたが、新隊員の躾に対しては陸士長クラスの厳しい教育?を見てみぬ振りをしていたようだ。